声の達人になるためのブログ

問題は人生で常に登場して解決されていく

採用する側のセンスに左右される声優の魅力

映画・アニメの声あてに、「プロの声優ではなく」俳優やタレントを使う、というと、真っ先に思い浮かぶのは宮崎駿さんの方針ですよね。一体いつの頃から言い出したものか、「プロの声優さん、特に若い女の子の声は作為的で嫌だ」とのことで、ジブリ作品のメインキャラクターの声を俳優やお笑い芸人が担当してらっしゃる。これは、まぁ解らなくもない意見だと感じます。
   

私が観た宮﨑さんの初期映画作品、「カリオストロの城」「風の谷のナウシカ」について言えば、メインキャラは本職の声優であり、なおかつ両作品のヒロインを務めた島本須美は出色の適役だったと感じます。凛として、飾り気なく、賢くも情熱的な勇気を秘めたヒロインにぴったりの声。劇団俳優や女優さんも務めたというだけあって、緩急自在の名調子はさすがベテランの本職、と唸らせられたものです。案外、宮崎産は彼女の声があまりにも「自分のヒロイン・理想の少女像」にハマリ過ぎて、それ以外の女性声優さんに物足りなさや違和感を感じてしまうのかも知れません。
   

また、若い女性声優の声がコケティシュでわざとらしい、という意見にもある程度納得できます。私が既に中年に達しているからか、最近の「萌アニメ」の人気キャラクタを演じる一部の声優さんの、甲高く早口で、やたらキラキラして「元気で明るいばかり」の声は、あまり魅力を感じません。これは、萌アニメの女性キャラクターの性格づけや描写が、「男性から見ていかに魅力的か」「若くて頭の軽い女の子、明るくて可愛ければそれで良い」という傾向をはっきりと反映しているのではないかとも感じます。
   

宮崎さんは、『風たちぬ』の主人公を、映画監督でアニメーターの庵野 秀明さんに任せたことでも話題になりました。俳優なりテレビタレントなり、ある程度「喋ることのプロ」ですらない人です。そこまで行くともはや楽屋落ちというか、老独裁者の道楽の世界ではないかと思ってしまいます。テレビ放映になって拝見しましたが、巧い・いい配役だ、とは思えませんでした。
   

ハウル」の木村拓哉さんや、「テッド」シリーズの有吉弘行さんなど、子供向けの大手ファンタジー映画に人気のタレントを起用するのは、話題づくりであり興行収入を見込んだものだろう、という気がします。それは商売として必要なからくりでしょう。起用された人の声と演技が、巧くはなくても「まあまあ及第点」で、作品の本質に傷をつけない程度であればそれでよしとするべきでしょう。


 ベテラン俳優さんの声あては、大抵の場合上手でキャラクターに合っているなと感じます。「トトロ」で主人公姉妹の父親役を飄々と演じたコピーライターの糸井重里さんのように、喋りの経験が浅くても意外なセンスを発揮する場合もありました。そういう意味で、声あてをするのが本職の声優である「必要はない」と私は思います。

離れて気づく大切な空間

f:id:ajoraop:20151216083405j:plain

 

私は日頃、忙しさに終われてイライラしする日々を送っていました。家事に育児にあっという間に1日が終わる感じでした。

 

朝早く起きてお弁当を作り、子ども達を見送った後に洗濯。お昼には旦那の昼食を作り、片付けたら今度は夕飯の下準備です。夕方は子どもを保育園にお迎えに行ったり、小学生の宿題を見たりします。宿題ができないと大暴れする傍ら、下の子がママ遊ぼー、抱っこしてーとせがんできました。そして子ども達をお風呂に入れたりご飯を食べさせたりしながら、夜9時に寝かしつけないといけないととても頑張っていました。


ほんとに毎日いっぱいいっぱいで、心の余裕が全くありませんでした。子どもがちょっとお茶をこぼしたぐらいで怒鳴ったり、おもらしをして怒ったり…後で冷静になって考えるとわざとしたわけではないのにどうしてそんなに強く怒ってしまったんだろうということばかりでした。

 

そんな時、私は切迫早産になって入院することになりました。私が動けないので子ども達は旦那と一緒に実家でお世話になることになりました。病院では何もすることがなく、起きてご飯を食べてを繰り返すだけの退屈な日々です。

 

f:id:ajoraop:20151216083651j:plain

 

ある日、病室で一人でご飯を食べていると寂しくて涙が出てきました。あんなにあわただしくて大変だと思っていた食卓が急に恋しくなり涙が止まりませんでした。その時、当たり前の日常がどんなに大切で幸せだったのかということに気づきました。イライラして怒ってばかりの毎日でしたが、子ども達は私の体調が悪いと大丈夫?と声をかけてくれたり、手伝いをしてくれたりと、あの子達なりに頑張ってくれていたのだなとわかりました。離れて過ごすとますます愛しくなり、たまに病院に来てくれるのが楽しみでなりませんでした。


無事に出産を終えて家に帰った時、ほんとにほっとしました。そして家族で食卓を囲んだり遊んだりしながら笑い合う空間が幸せなんだなと改めて気づかされました。少し離れたことで家族の温かさに気づくことができ、以前よりもイライラすることが少なくなりました。かけがえのない大事な家族とこれからも仲良く幸せに過ごしていきたいと思っています。

生後間もなく、ノイローゼ気味になった時

f:id:ajoraop:20151216084040j:plain

 

私が子供を嫌いになりそうと思った瞬間は、出産後間もなくの時期です。うちの子は食が細く、すぐに吐き出してしまうタイプだったため、2,3時間の長い睡眠をとることがなかったのです。お腹が空いては泣き、ミルクを与えるのですがなかなか量を飲むことが出来ず、1回に飲める量がとても少なかったのです。そのため、飲んでから寝ても、30分足らずでまたお腹が空いたと泣き出します。

 

f:id:ajoraop:20151216084324j:plain


    
それが毎日、そして夜中も関係なく続いた為、私自身体を休められる時間がなく、まともにお風呂に入ることも出来ませんでした。髪を洗っては子供にミルクを、髪を乾かしては寝かしつけ、シャワーを浴びている最中も時に途中で泣いて呼び出されてしまう毎日。私はその時実家に里帰りをしていたのですが、両親ともに厳しいタイプだったため、あまり当てにすることも出来ない状態でした。
    
そのうち疲労がたまりにたまって、何を食べたいのかも自分で頭が回らない状態になって、食欲もわかず、母乳も出なくなってしまいました。

そんな時、ウイルス性の風邪に見舞われてしまい、体力が限界になり、何がある訳でもないのに涙がこみ上げる日々。子供がかわいいと思えるまで、かなりの時間を要することになったのです。

自分が産んだ子供を愛らしい、目に入れても痛くないとよく聞いていたので、自分は母親として失格ではないかと自分自身を責めたこともありました。また母乳が止まってしまったことで、私の両親に情けないような言い方をされたこともありました。私はこの子をちゃんとこれからも育てていけるのか、いつか可愛いと思える日がくるのかとものすごく葛藤しながら、毎日苦しい気持ちで子育てをしていました。
    
「なんで飲んでくれないの」「なんで寝てくれないの」「なんですぐ吐いちゃうの」と、子供のことを嫌いになりそうでした。

この生活が約3ヵ月くらい続いたある日、子供が私を母親だと認識してくれたのか、私を求めて笑顔になってくれて、また私の抱っこだけでしか眠れないと分かった時、その時初めて可愛いという感情が出始めました。私の気持ちにようやく余裕が出来た瞬間でした。
    
気持ちに余裕がなかったこと、周りのサポートを得られなかったこと、体調を崩していたこと、時間に追われていたことがすべて重なったためにそうなったと思っています。とても自分でも辛かったし、子供に対してそういう感情を持ってしまったことは、いまだに後悔の気持ちが湧きます。しかしその分、育児の大変さを分かったので、今後自分の為にもなれたと思います。

赤ちゃんを授かることは、自分の事しか考えてない

現在妊娠中です。妊娠が分かった当時は契約社員として働いていましたが、理解のない職場だった為、赤ちゃんの事を考えて退職しました。

私のいた職場は独身女性だけで、30~40代の方が多かったです。20代は私だけでした。初めに直属の上司(この方は40代で、私の妊娠が分かる少し前に結婚されました。子どもはいません。)に相談すると、「おめでとう!良かったね~。」と喜んで下さり、体調が悪かったた勤務も短時間にできるよう考慮してくれるとおっしゃいました。

勤務に関しても考慮してもらえると安心し、頑張ろうと思いながら仕事をしていたのですが、しばらくすると「人がいないから勤務の短縮は無理。頑張ってもらうしかない。」と言われました。力仕事などは申し訳ないと思いながらも先輩方に助けて頂いて、なんとか業務をこなしていました。

しかし、しばらくして出血がありました。私の仕事には夜勤もあり、仕事と家事をしながらの生活で少し疲れていたのもあります。病院に電話すると、初期には良くあることだから、仕事は休んで安静にしていれば大丈夫と言われ、会社に少しの間休みたいと電話しました。すると、その上司は言いました。

「それってさぁ、自分の事しか考えてないよね?わかるかなぁ?会社なんだよ?みんな同じ給料もらってやってるの。あなただけ特別じゃないの。はぁ、、(ため息)他の人に頼むの?」

愕然としました。ショックで言葉が見つからず、すみませんと言うのがやっとでした。その後は何も考えられず、電話で無言になる私が悪いのですが喋ることができませんでした。すると、「今回は○○さんに頼んでみるから、確認して折り返します。」と、一方的に切られました。少しして先輩が代わってくれるということで連絡が来ました。

お礼を言って電話を切ると、悲しくて涙が出てきました。赤ちゃんができて嬉しいはずなのに辛かったのです。
同じ女性として、こんな言葉を投げつけられるとは思いませんでした。
責任者として、経営が成り立たない状態となることがどれほど大変な事なのかはわかります。飲食店で働いていた時、突然来なくなる人の代わりに店長が休みなく働く姿を見たことがあります。
しかし彼女は違いました。自分が大変になることが嫌なだけのように感じる言葉でした。事実、代わりの人が見つかったあとの電話では落ち着きを取り戻していました。

出血も落ち着き、会社に行くと話があると呼び出されました。
「これからどうしようと思ってるの?普通に働けるの?」と聞かれ、私はギリギリまでは働きたいと思っていることを伝えました。しかし、「今人も探してるし、無理して続けなくてもいいんじゃないかな?まわりの事も考えてる?考えてないよね?」

ここまで言われて私もこんな風にしか言えない人の元て働くのは赤ちゃんを育てる環境には適していないと思い、その月で辞めることにしました。

結婚していたら、今後自分の身にも起こりうるであろう妊娠に対してここまで理解のない人もいるんだと、諦めにも似た感情でした。
事実周りの先輩方に助けられ、迷惑を沢山かけていたので、その事に対する謝罪と感謝をして辞めました。

こういう職場が無くならない限り、子どもを安心して産める女性は減るばかりだと思います。理解のある職場作りや、上司の偏った考えを無くすなど、もっと安心して働ける環境を増やして欲しいと切に願います。

好きになれない自分の声

私は、自分の声が好きではありません。

高めの声で、鼻風邪をひいているわけではないのに、鼻にかかった声です。

自分の声に特にコンプレックスを持つようになったのは、中学生のときに、仲良くしてた女の子からのキツい言葉からです。

中学のときの音楽の時間に、一人ずつ歌を歌うテストがあったのですが、そのテストが終わったあとに、その女の子から「○○(私の名前)の声、鼻にかかってなんか気持ち悪い」と言われました。仲が良かっただけに、彼女には悪気がなかったのかもしれませんが、私はかなりショックでした。さらに、その友達と電話で話しているときも「○○の声って変だよね。」と、何度か言われました。やっぱり他の人も、私の声は嫌いなんだと思いました。

高校生になってから、カラオケに行くことが多かったのですが、私はぜったいに歌を歌いませんでした。どんなに、友達たちに、○○も歌ってよー、と言われても歌いませんでした。本当は、楽しく歌を歌いたかったのですが、歌を歌うと私の声は、さらに変になる気がして歌えませんでした。カラオケに行っても、いつも歌わずに割り勘でお金を払うだけで、自分の声がふつうだったらなと思うとむなしかったです。
社会人になり、就職したのですが、仕事のうちの一つで、人の前でアナウンスをしないといけないことが度々ありました。

できれば避けたかったのですが、仕事なので順番がまわってくると、避けることはできませんでした。なので、そのときはできるだけ低い声を出してアナウンスをしていました。

でも、あるとき、たまたま私がアナウンスをしていたときに来ていた友達が「アナウンス、ステキだったよ!」と言ってくれました。

声に関して言ってくれたわけではないのですが、なんだか初めて声を褒められたような気がして少しうれしかったです。でもそれでもコンプレックスは消えませんでした。

そのときに付き合っていた彼氏は、声がかわいいよ、と言ってくれたのですが、たぶんお世辞で言ってくれてるだけなんだろうな、と思いました。
今でも録音した自分の声を聞くと、嫌で嫌でたまりません。カラオケに行っても絶対に歌いません。正直、たまにカラオケで、私みたいな声の人が歌っているのを聞いて、その勇気をうらやましく思います。


私はできるだけ、人と話しをするときは、低い声で話すようにしています。残念ですが、多分声のコンプレックスは、一生私に付いてくると思います。

 

●関連記事:声の仕事をしてみたい

自分に自信があるかないかは声に表れる

声のコンプレックスと言えば、極端に高い声など声質が人より変わっているというパターンが多いのかもしれませんが、声質以外にも声でコンプレックスを感じてしまうのが、声が聞き取りにくいということです。

 

私の場合、普通に話しているつもりなのですが、聞く側からすれば声が小さいらしく、聞き直されることがよくあります。声を大きめに出すと意識すれば、ちゃんと聞こえるみたいなのですが、大きな声とか小さな声と意識せずに話すと、聞こえにくいことが多いようです。

 

ただ、いつも何も考えずに話すと声が小さいかと言えば、そうではありません。家族など気を使わない人と話すときは、小さな声にならないのです。つまり他人、特に親しい間柄ではない人と話すときに、声が小さくなるようです。

 

意識的にそうなっているのであれば、声が小さいことを直すのは簡単なのかもしれませんが、無意識のうちにそうなってしまうので、自分でも困ってしまいます。対面販売のお店や飲食店で注文する時などは、必ず大きな声を意識して話します。これは、お店で自分が購入したいものを言うだけで、短い言葉なので、そんなに負担に感じることはありません。しかし、親しくない人とある程度の時間、会話をしなくてはいけない時は、大きな声を意識し続けるのは、とても負担に感じます。

 

元々、私は小さいころから人見知りが激しかったので、親しくない人に会うと思っただけで緊張してしまうタイプでした。人が考えていることもすごく気になるようなタイプだったので、きっと自分に自信がなかったのだと思います。

 

今でも、自分に自信があるかと言えば、昔ほどではないにしても、そんなに自信を持っているタイプではないので、やはり、話し相手によっては声が小さくなります。
それでも、生活の中で、初対面の人と話さないといけないことは必ずあるので、なるべく大きな声を意識して話したりしているうちに、少しずつは自信がついてきたように思います。

 

とは言え、自分の自信があるかないかによって声の大きさが変わるということに気付いたのは、最近なので、声が小さいというコンプレックスを改善しようという気になったのも最近です。

 

それまでは、改善と言うより、聞き取ってもらえればいいと思うほうが強かったので、とりあえず声が小さくなりそうな時は、意識して大きな声を出そうとしているだけでした。でも今は、自分に自信をつけるように心がけています。そのせいか、人見知りも、聞き直されることも、少しずつですが改善されていっているようです。

 

●関連記事:声の仕事をしてみたい

兄と比べられながらも、少しずつ慣れていったわたしの声

わたしの兄は声がものすごくキレイでした。
対して、わたしの声は妙に高く、上ずっていて、ずーっと好きになれませんでした。
仕方ないことと受け入れた今でも、たまに嫌になることがあります。
小学校や中学校のときにはなおさらその声が気になりました。
子どもは無邪気に人のコンプレックスをからかいます。
声を出しただけで笑われてしまう、なんてこともありました。

兄弟というのはどうしても比べられるものです。
兄は何事にも器用で、人気者でした。声はキレイで、高い音域までカバーし、
よく通ります。歌もうまくて楽器もできます。そんな兄と比べられるので、
わたしはたまったものではありません。なぜ兄弟なのに同じように声が
出ないのかとだいぶと悩みました。歌も兄の真似をしようとしたけども、
どうしてもうまく音が出せない。高い声は出るけど、不器用なのか、音痴なのか、
キレイに歌うということはできませんでした。せっかく高い音が出るのに、
もったいないなと思います。

音楽の時間は散々です。合唱などになると、如何に声を小さく出すかを考えていました。
声が出てしまうと目立つのです。音楽の先生に咎められない程度に、目立たないように、
大人しく声を出すように努めていました。今考えると、先生も少しわたしの気持ちを
知っていたように思います。大きな声を出すように注意されることは少なかった気がします。
変な声が混ざると全体の調和も乱されるので、当然といえば当然ですね。でも、合唱で
あまり注意されなかったのはありがたいことではありました。

少人数で歌わされたときは、もう、あまり思い出したくないですね。
同じグループの子には迷惑をかけてしまったなと思います。
いつも、兄はうまく歌えるのにというコンプレックスに苦しんでいました。

声のことに諦めがついてきたのは高校生ぐらいからです。
音楽の授業も選択制になり、歌う機会も減りました。カラオケでは、
叫ぶような歌やネタになる曲を選んで歌うようになりました。周りも声のことを
ネタとしておもしろがってくれるようになり、だいぶと楽になりました。
からかわれると辛いですが、おもしろがられるなら大丈夫ですね。
うまく自分の声と付き合っていけるようになってきたのでしょう。

今でもこの特徴的な声で電話に出るので、スグに相手はわたしとわかります。
笑われることもありますが、恥ずかしがることはあまりありません。
笑いがとれるのもひとつの武器だなと捉え直して、この変な声を使っています。
嫌は嫌ですが、そんなに気にしていても仕方ないのではないかなと思います。

 

●関連記事:声の仕事をしてみたい