声の達人になるためのブログ

問題は人生で常に登場して解決されていく

兄と比べられながらも、少しずつ慣れていったわたしの声

わたしの兄は声がものすごくキレイでした。
対して、わたしの声は妙に高く、上ずっていて、ずーっと好きになれませんでした。
仕方ないことと受け入れた今でも、たまに嫌になることがあります。
小学校や中学校のときにはなおさらその声が気になりました。
子どもは無邪気に人のコンプレックスをからかいます。
声を出しただけで笑われてしまう、なんてこともありました。

兄弟というのはどうしても比べられるものです。
兄は何事にも器用で、人気者でした。声はキレイで、高い音域までカバーし、
よく通ります。歌もうまくて楽器もできます。そんな兄と比べられるので、
わたしはたまったものではありません。なぜ兄弟なのに同じように声が
出ないのかとだいぶと悩みました。歌も兄の真似をしようとしたけども、
どうしてもうまく音が出せない。高い声は出るけど、不器用なのか、音痴なのか、
キレイに歌うということはできませんでした。せっかく高い音が出るのに、
もったいないなと思います。

音楽の時間は散々です。合唱などになると、如何に声を小さく出すかを考えていました。
声が出てしまうと目立つのです。音楽の先生に咎められない程度に、目立たないように、
大人しく声を出すように努めていました。今考えると、先生も少しわたしの気持ちを
知っていたように思います。大きな声を出すように注意されることは少なかった気がします。
変な声が混ざると全体の調和も乱されるので、当然といえば当然ですね。でも、合唱で
あまり注意されなかったのはありがたいことではありました。

少人数で歌わされたときは、もう、あまり思い出したくないですね。
同じグループの子には迷惑をかけてしまったなと思います。
いつも、兄はうまく歌えるのにというコンプレックスに苦しんでいました。

声のことに諦めがついてきたのは高校生ぐらいからです。
音楽の授業も選択制になり、歌う機会も減りました。カラオケでは、
叫ぶような歌やネタになる曲を選んで歌うようになりました。周りも声のことを
ネタとしておもしろがってくれるようになり、だいぶと楽になりました。
からかわれると辛いですが、おもしろがられるなら大丈夫ですね。
うまく自分の声と付き合っていけるようになってきたのでしょう。

今でもこの特徴的な声で電話に出るので、スグに相手はわたしとわかります。
笑われることもありますが、恥ずかしがることはあまりありません。
笑いがとれるのもひとつの武器だなと捉え直して、この変な声を使っています。
嫌は嫌ですが、そんなに気にしていても仕方ないのではないかなと思います。

 

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